西村まこさんは、国が初めて「女性暴力団員」として認定した人です。
現在は、NPO法人「五仁會」広報部長兼岐阜支局長。
今回は、西村まこさんの生い立ちや家族構成について調査しました。
西村まこの家族構成!
西村まこさんの両親の存在については、西村まこさんの半生の話の中で確認できます。
実の兄弟や姉妹がいるかどうかは不明です。
西村まこ自身は結婚をして、2人の息子さんがいます。
母親の話しからになりますが、西村まこさんが杉野組に入ることが決まったとき、西村まこさんの母親は組の事務所に挨拶に行ったそうです。
そのとき西村まこさんの母親は、相手がヤクザの親分とは知らずに「これから娘がお世話になります」と頭を下げたという話も明かされています。
父親の話は、「現役時代、拳銃は持っていたんですか?」というインタビューの質問の中で出てきます。
西村まこさんは、『ヤクザをやっている限り、拳銃を持っているのがあたり前。父親に70万円ほどお願いして、そのお金でこっそりコルトを買ったこともありますね』と答えていました。
西村まこさんの結婚相手は、敵対する組の男性。
西村まこさんが住吉会系で、夫はが山口会系です。
2人の息子さんは、まじめに育ったと明かされています。
西村まこの生い立ちが衝撃!
「まこ」は本名ではない
1966年生まれ、愛知県の出身の西村まこさんの本名は、まこさんではありません。
本名は和代です。
「まこ」は、名古屋市内の中学校に通っていた頃に付いたあだ名でした。
由来は悪魔の子で、あくを取って「まこ」。
エリート家庭から非行に走った14歳
父親は愛知県庁の元幹部職員、親戚は東大出身の裁判官。
西村まこさんは、エリート家庭という環境の中で生まれ育ちました。
14歳で非行に走った理由は、「スパルタ教育に嫌気がさしたから」です。
インタビュー記事では「野に放たれた動物のように男友だちとケンカ三昧の日々を送るようになった」と西村まこさんは明かしています。
中学校を卒業した後は、スラックスを縫製する岐阜市内にあった工場へ就職。
父親に言いくるめられたそうです。
西村まこさんの表現では、「自家用車に拉致され、有無を言わさず工場に連れていかれての就職」となっています。
「父としては最後の更生チャンスとばかりにスイッチが入ったのだと思います」と、西村まこさんは当時のことを振り返っています。
『人生最大のおもしろくない地獄の期間』を抜け出すために、公衆電話で暴走族の先輩に電話して迎えに来てもらい、西村まこさんは夜に脱走。
少年院収容は2回
1回目の少年院収容前に、西村まこさんは「ヤクザ見習い」となっています。
2回目の収容では、岐阜県で2番目の特別少年院送致となりました。
20歳になる1986年に、杉野組の盃を受けています。
1回目の少年院収容の話は、インタビュー記事にくわしく書かれていました。
初めての鑑別所で、調査員の先生からは「今度は少年院だな」と言われていたそうです。
その後、西村まこさんはシャブをやったあとに深夜の未成年徘徊で補導。
多治見署に連れていかれ、オシッコ採取で陽性反応。
1回目の少年院送致で、中等少年院1年3か月。
岐阜市内の鑑別所から電車で大阪の枚方にある少年院までの移動中は、手錠をされた両手の上にタオルをかけられ、2人護送についていたそうです。
西村まこの家族と現在は?
西村まこさんの両親について語る様子は見当たりませんが、会えなくなった息子2人への思いは明かされています。
すべては、ABCテレビのドキュメンタリー「追跡スペシャル」で放送。
2023年に西村まこさんは、兵庫県姫路市に本拠を置くNPO団体「五仁會」の岐阜市局長に任命されました。
現在は、生き場をなくした「ワケあり」の人たちが西村まこさんのもとへ相談に訪れています。
かつて西村まこさんは、子供たちが寝静まるのを見はからって自宅で薬物の売買の作業を続けたこともありました。
子供たちとは離縁状態。
「会って謝りたい、そして、再び仲良く暮らしたい…」と西村まこさんは今の気持ちを打ち明けています。
まとめ
エリート家庭という環境の中で生まれ育った西村まこさんは、14歳で非行に走ります。
中学卒業後は工場に就職させられるも、深夜に脱走。
2回の少年院送致を経験したあと、国から初めて「女性暴力団員」として認定された人生を送っています。
コメント